私のことを話しますと
私は、子どもの頃から歴史に関心が薄く(両親もそうだったかもしれません)
戦後5年経ち生まれた父親は
戦中にフィリピンで捕虜になり、終戦後に帰国した祖父に対して
尊敬するというよりは、
祖父を怒ったり、
馬鹿にするような言動が多かった記憶があります
※お酒好きで競馬に浪費してしまった祖父の背景もありますが
そんな中、私は初孫だったので、祖父によく可愛がってもらったので甘えることもでき、とても大好きでした

しかし
祖父を心から尊敬しているかと言われるとそうではありませんでした
おじいちゃんは
優しく安心できる存在でしたが、尊敬の対象ではなかったと思います
私の祖父母は二人とも大正生まれで
戦争も経験し、本当に幼少期から戦中・戦後の貧しさに大変な苦労をして生きてきたと思います
けど、私は二人から戦争の話しを一度も聞いたことはありません
そもそも、わたし自身が戦争や歴史に関して、興味関心をもって聞いてみたいと思ったことがなかったのです
それは何故か?
シンプルに二つのことが言えると思います
まずは1つめは
「暗記教育、インプット教育の限界」
年号や出来事をただ記憶して回答するだけで点数が取れる教育では、
先人たちの意志や感情が自分と繋がりにくいと思います

国語や道徳、歴史上の人物をどう思うかは、正しい答えが一つになることはないはずです
何故ならば、人の価値観とその価値観が生み出された時代背景、家庭環境によって人それぞれ、国それぞれだからです
その違いに対して、本来はどれが正しいと決めつけることができないはずなのですが
学校では、正解が一つだけ存在しているように思い、誰もが自由に自分の観点を発言しにくい雰囲気ができてしまいインプット型人材が大量生産されていきます
そもそも先生自身が、回答はこうあるべきにハマってしまっている場合もあります
そして、2つめは
「自虐史観(日本が100%悪かった)だけの観点に偏った戦争解析の歴史教育」
二つ目は、本当に大きな要因と思います
実際に戦争から生きて生還した方々も戦後のGHQによる7年計画
で、新聞、TV、教科書、様々な情報網で「アメリカはすごい!日本が悪かったんだ・・」
そのような情報とばかり出会うわけです


それを事実と思い込んだ生き残った人たちは
焼夷弾による本土空襲(3月~8月まで連日連夜)、原爆2発(8月6日広島、8月9日長崎)まで落とされ
天皇の人間宣言から東京裁判へと
大きな失望感と憤りを蓄積しながらも、
戦後の焼野原で衣食住が全く満たされない中で、住居や食料をアメリカに依存し必死に生きるしか選択肢がなかったのわけです

「本当は違う・・そうじゃない事実もあるんだ!」
と思った人たちも多くいたと思いますが
自虐史観の観点だけをどんどん事実と思い込まされていく
そんな世間の雰囲気に飲まれ
本当は聞いてほしいと思っても
子供にも孫にも、過去の話しを一切することもできず

生きること、死ぬことに誰もが必死に向き合わざるを得なかった戦争の時代
大事な家族、友人、多くの優秀な若者を失った悲しみへの共感、慰労や労い、感謝を子孫にされることもなく
罪悪感を持ちながら生きた先人たちが、日本にはとても多くいるのです
続く